開けたパンドラの箱・・・原発の再稼働が目前となった今、もう一度原子力の危険について考えてみよう、そんなことは福島の原発事故で分かっている、 だから稼働には反対なのだという人もいるであろう、 さて、では原発が稼働しなければ安全は維持されるのであろうか。 原発は開けてしまったパンドラの箱である、 原発を稼働しなくても、もはや危険から逃れる術はない、 原発の危険とは何であろうか、 それは万一の事故のときの放射能漏れだけではない、 一番大きな問題は発生する廃棄物の処理である、 それを忘れてしまってはいないだろうか。 中でも特に危険なのが再処理した高レベル放射性廃棄物である、 高レベル放射性廃棄物は1万年たった後でも致死量の放射線を放出し続ける、 1万年前の人類ははたして何をしていただろうか、 人類が農耕を始めたのが8000年ほど前のことである、 まだまともな文明は生まれていない、 文明が生まれてから今までの時間より長い時間が経過しても、 まだ高レベル放射性廃棄物は安全にはならないのだ。 現在放射性廃棄物の処理方法として最も有力なのが地層処分である、 さてどこに埋めるのであろう、 1万年以上にわたって安全な地層とはどこにあるのであろう、 当然であるが1万年もの間、核を閉じ込めておける容器はない、 容器はやがて破壊される、埋めてしまった廃棄物はもはや管理することはできない、 地殻変動によってこれが地表に現れない保証はどこにもないのである。 仮に運よくこの地層が1万年変動しない安定した地層であったとしよう、 しかし危険はまだある、 1万年後の人類にそこに危険な廃棄物が埋まっているとどうやって伝えるのか、 古代エジプト文明やメソポタミア文明が残した文字を今の我々が問題なく読めるであろうか、 我々はたかだか5000年前の文字が読めないのだ、 温泉、地下鉄、我々はさまざまな用途で地下を掘削している、 将来そこが掘り返されない保証もまたないのである。 核廃棄物は危険でも地表に置いて管理し続けるしかないのだ、 遠い将来これを無害にする技術が開発されるまで。 原発は止めたらそれで終いではない、むしろ止めてからの方がずっと大変なのだ、 止めて利益を生み出さなくなった原発を核廃棄物を誰が管理するのか、 それは作った電力会社が責任を持ってと考えるかもしれないが、 時間の長さというものを忘れてやしないだろうか、 1000年後に今の電力会社が残っているという保証がどこにあるのであろう、 5000年後に日本という国がまだあるという保証がどこにあるのであろう。 最も無責任なのは全ての原発を止め、研究も止め、 全てを地下に埋めて忘れてしまうことである、 埋めても核廃棄物はなくならない、 こんな時だからこそ原子力の研究は続けなければならないのだ。 それがパンドラの箱を開けてしまった我々が唯一できる未来への償いである、 金がかかっても、犠牲を払っても研究は続けなければならない、 パンドラの箱に残った最後の希望を未来に受け継ぐために。 |